本ページにはプロモーションが含まれています

チャールズ・ブランドンとヘンリー8世の妹メアリー王女 いつ何歳だったのか年表

2022年11月19日

初代サフォーク公爵チャールズ・ブランドンは、泡沫騎士の息子から公爵へと駆け上がったチューダー朝イングランドの貴族です。

※「騎士(=ナイト、knight)」は称号で、騎士=貴族ではありません。当時の英国の爵位は上から公爵、侯爵、伯爵、子爵、男爵と下って、騎士はその下の称号で、生まれとは関係なく叙勲されるものでした。

チューダー家がヨーク家から王位を奪ったボズワースの戦いの終わりに、時の国王リチャード三世が戦場に飛び出し、自ら剣をふるって戦ったエピソードはよく知られていますが、チャールズの父ウィリアム・ブランドンは、リチャード三世の剣にたおれた3人の兵士のひとりでした。

戦闘は敵の大将をやっちまえば勝ちなわけで、チャールズの父は金星まであと少しのところでした。そんな事情も手伝ってか、その後母も亡くして孤児になったチャールズは宮廷で働くのを許されます。

国王の次男ヘンリー王子の侍従になったチャールズは、ヘンリーの信頼を勝ち取り、ふたりは親友のような関係になりました。

チャールズはヘンリーの5歳上、ヘンリーの妹メアリーの10歳上です。

メアリーにとってチャールズは、子供のころから身近にいる人でした。メアリーのほうは、おそらくずっとチャールズを好きだったのでしょう。チャールズは…どうでしょう。この人はそっち方面でやたらと多忙な人だったようなので、メアリーに「も」好意はあったと思いますが…

↑はヒストリカルフィクションです。私は読了していますが、この記事には事実であると確認できたことだけを書いています。

ふたりがうっすら目の恋愛関係にあることは周囲も察知していたようです。でも、国王の妹の結婚は政治の一環です。メアリーは、老いたフランス王ルイ12世の3番目の妃になりました。

ルイ12世とはこの本↓で離婚する王様

最初の王妃(の顔)が気に入らなかったルイ12世は、裁判を起こして離婚。その後もらった2番目の王妃が死んで、3番目に娶ったのがイングランド王女メアリーでした。

結婚から数か月でルイが急死すると、王の子を産んでいないメアリーはフランスに残る理由もなく、イングランドに帰ることになりますが、この時迎えにやってきたチャールズがこの時たまたま独身で…

これは本当に「たまたま」です。チャールズはこれまでに事実婚、重婚、離婚、婚約、婚約解消と、結婚にまつわるあらゆる状態を経験しています。とにかく!独身同士だったチャールズとメアリーは結婚を決意しました。

当時の欧州の結婚とは行政上の手続きではなく、神への誓いです。結婚式を挙げてくれる神父と証人がいれば、これは完全な結婚です。

兄ヘンリー8世がこの再婚をすんなり認めるはずがないと分かっていたメアリーは、フランスの新しい王フランソワ1世を頼り、フランスで結婚したのでした。

メアリー・チューダーとチャールズ・ブランドン
Jan Gossaert筆:メアリー・チューダーとチャールズ・ブランドン-PublicDomain

フランソワにとっては、王の妹というイングランドの外交ツールをつぶせるこの結婚は都合のいいことだったのです。

ヘンリー8世が激怒したのは言うまでもありません。メアリーは多額の罰金を支払い、なんとか許しを得ます。

チャールズとメアリーの間には4人の子が産まれました。このうち、娘のフランセスのそのまた娘のジェーンが、後に思いがけず女王にまつり上げられ、それが反乱とみなされて処刑される「9日間の女王ジェーン」です。

エドワード6世が死んだとき、エドワードの姉のメアリー(ブラッディ・メアリーのほうのメアリー)を女王にしたくない一派が、メアリー(ヘンリー8世の妹のほうのメアリー)の孫娘=ヘンリー7世のひ孫ジェーン・グレイに目をつけ、電撃的に即位させちゃったのです。

 

メアリーはあまり長生きせず、37歳で病死します(1533年)。癌だったと推定されています。

チャールズの再婚はメアリーが亡くなって1年もしないうちでした。再婚相手のキャサリン・ウィロビーはこの時14歳。チャールズは49歳。

実はキャサリンは、チャールズとメアリーの長男ヘンリーの許嫁で、チャールズの義理の娘になる予定だったのですが…何がどうしたらこうなるのか…チャールズの華麗な結婚史に幼妻という新たなページが加えられたのでした。

とはいえ、これが最後の結婚です。

キャサリンは二人の男児を生み、チャールズが死ぬ時まで妻として付き従いました。(チャールズの死後はかなりアクティブなプロテスタントとして活躍します)

↑はヒストリカルフィクションです。私は読了していますが、この記事には事実であると確認できたことだけを書いています。

61歳で亡くなったチャールズですが、死の前年には司令官としてフランス遠征軍を率い、死の前日まで議会に出席していたと言います。

この人って…

公人としては、無名騎士の孤児から公爵への大出世。プライベートでは裕福な年上未亡人との結婚や、身分違いのドラマチック婚、35歳年下の若妻と色とりどりで、国王の親友。最期は寝込まずにぽっくり…なんて楽しそうな一生なんでしょう。

↑はヒストリカルフィクションです。私は読了していますが、この記事には事実であると確認できたことだけを書いています。

チャールズの命日は1545年8月22日。ボズワースの戦いと同じ日でした。つまりチャールズは、父親がリチャード三世の刃に散ったその同じ日に死んだのです。

 

ずっと前に作った3人の年齢早見表エクセルシートが残っていました。

何をしようとしてこの3人で表を作ったのか自分でも謎ですが(笑)、どなたかのお役に立つことがあるかもしれないので公開しておきます。

西暦誰の出来事?チャールズメアリーヘンリー
1484チャールズ誕生0歳
1485チャールズボズワースの戦い(=チャールズの父死亡)1歳
1491ヘンリー8世誕生7歳0歳
1494チャールズ母死去、孤児に10歳3歳
1496メアリー誕生12歳0歳5歳
1503チャールズ王の食卓係に10歳7歳3歳
1505チャールズアン・ブラウンと婚約12歳9歳5歳
1506チャールズアンの伯母マーガレット・ネヴィルと結婚22歳10歳15歳
1507チャールズマーガレットと離婚23歳11歳16歳
1508チャールズアンと結婚24歳12歳17歳
1509ヘンリー8世即位25歳13歳18歳
1511チャールズアン死亡27歳15歳20歳
1512チャールズエリザベス・グレイと婚約(のちに解消)28歳16歳21歳
1513チャールズ子爵に29歳17歳22歳
1514チャールズサフォーク公爵に30歳18歳23歳
1514メアリーフランス王ルイ12世の妃に30歳18歳23歳
1514メアリールイ12世急死30歳18歳23歳
1515チャールズ、
メアリー
結婚31歳19歳24歳
1516チャールズ、
メアリー
長男ヘンリー誕生32歳20歳25歳
1517チャールズ、
メアリー
長女フランセス誕生33歳21歳26歳
1519チャールズ、
メアリー
次女エリナ誕生35歳23歳28歳
1520ヘンリー8世金襴の陣36歳24歳29歳
1523チャールズ、
メアリー
次男ヘンリー誕生39歳27歳32歳
1533メアリー死亡49歳37歳42歳
1533チャールズキャサリン・ウィロビー(14)と再婚49歳42歳
1544ヘンリー8世フランス出兵60歳53歳
1545チャールズ死亡61歳54歳
1547ヘンリー8世死亡56歳