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リチャード三世の遺骨から分かったことと分からないことー托卵はどこで?

2023年9月14日

2012年、イギリスのレスターにある駐車場の地中から一体の遺骨が発見されました。

鑑定の結果、骨は15世紀イングランド王リチャード三世のものと判明。死後530年近くが経過しての発見は、世界に大きく報じられました…が、この鑑定は同時にある気まずい事実もあぶり出してしまいます。托卵です。

これは、「リチャード三世の祖先エドワード三世から続く複数の家系のいずれか」で、「700年近い期間のどこか」に托卵があったことを示しているだけなのですが、どうも一部に「リチャード三世は母セシリー・ネヴィルが浮気で作った子だった」と誤解する向きがあるように思います。

ややこしい話なので誤解も無理はないのですが、リチャード三世が托卵の子だったと分かったわけではありません。「その可能性もごくわずかにある」というだけです。

遺骨の何が誰と一致し何が誰と一致しなかったのか

まずここを明らかにしましょう。

発見された遺骨は、ミトコンドリアDNAとY染色体のふたつの鑑定にかけられました。

遺骨のミトコンドリアDNAはリチャード三世の姉の子孫と一致

まず、発見された遺骨がどうしてリチャード三世のものと分かったのかって話です。

これを証明したのは、ミトコンドリアDNAです。

ミトコンドリアDNAは、細胞のミトコンドリアの中に存在するDNAで、母親から子(男女とも)に受け継がれます。

ミトコンドリアDNA家系図

→同じ母親の子は性別に関係なく全員同じミトコンドリアDNAを持っています。

→リチャード三世と、その兄弟姉妹のミトコンドリアDNAは同じです。

→リチャードの姉妹が産んだ女の子のミトコンドリアDNAは、リチャードと同じです。さらにその子供のミトコンドリアDNAも同じです。

そこでリチャードの姉アンの15代下と18代下の子孫二名のミトコンドリアDNAを調べたところ、遺骨とほぼ一致しました。

リチャード3世mDNA家系図

この鑑定結果に、アンの兄弟(=リチャード三世の兄弟)のうち遺体が行方不明になっていたのはリチャード三世だけだったこと、骨のDNAから予測される生前の外見がリチャード三世の肖像画とよく一致することも併せ、遺骨はリチャード三世のものと断定されたのです。

⇒ミトコンドリアDNA分析から分かったこと=遺骨はリチャード三世

遺骨のY染色体DNAはリチャード三世の男系の親戚筋子孫と不一致

Y染色体DNA分析も行われました。

Y染色体は、父親から息子へと受け継がれるものです。(女性にはY染色体はないので)

Y染色体家系図

 

もしもリチャード三世に男系男子子孫がいれば、その人と遺骨のY染色体は一致するはずなのですが、直系の生存子孫はいません。嫡子エドワードは夭折し、庶子ジョン・オブ・グロスターは、子を設けぬうちにヘンリー7世によって処刑されたものと見られています。またリチャードの兄たちの男児の血筋も途絶えています。

しかし、リチャードの曽祖父ヨーク公エドマンド・オブ・ラングリーの兄ランカスター公ジョン・オブ・ゴーントの17代下の4家系が現存し、それぞれに男子子孫が生存していました。ジョン・オブ・ゴーントの13代下のヘンリー・サマセット(5代ボーフォート公)から分岐した家系の5名です。

Y染色体DNAは、父親から息子に受け継がれるので、

→リチャード三世=リチャード三世の曽祖父(エドマンド)=曽祖父の兄(ジョン・オブ・ゴーント)=ヘンリー・サマセット=現存家系の五男子

となり…早い話が、遺骨のY染色体DNAはこの生存子孫五男子と一致するはずです…でした。

ところが、この5人とリチャード三世のY染色体DNAは一致しませんでした。

正確に言うと、生存子孫5人のうち4人のY染色体は同じでしたが、ひとりは違っていました。つまり、ヘンリー・サマセットからこの5人までの間のどこかに「も」托卵があったわけですが、ここではそれは問題ではありません。

とにかくジョン・オブ・ゴーントの子孫とされる生存者から2種類のY染色体が採取されたわけです。ふたつのうちどちらかひとつはジョン・オブ・ゴーントと同一のY染色体のはずであり、リチャード三世とも同一であるはずが、どちらも一致しなかったのです。

リチャードIIIY染色体家系図

 

ここが誤解発生ポイントです。

一致しなかったのは、ヨーク家リチャード三世のY染色体と現存ランカスター系子孫のY染色体であって、リチャード三世とその父リチャード・プランタジネットのY染色体が一致するかしないかは不明なのです。(リチャード・プランタジネットの遺骨は鑑定されていません)

托卵は、リチャード三世誕生の際に起きたかもしれませんが、もっと上の代のどこかで起きたことかもしれませんし、それもリチャード三世のヨーク家のほうではなくエドマンドの兄ジョン・オブ・ゴーントから連なるランカスターの血筋の方で起きたことかもしれません。

ただし、エドワード三世以下の王族、つまり白薔薇のヨーク家と赤薔薇のランカスター家ということになりますが、このニ家の生活に関しては多くの記録が残っていて、托卵の可能性はとても低いと言われています。言い換えると、よその男性の種が紛れ込んだのは、ずっと後の時代になってのことである可能性が高く、つまりリチャード三世はリチャード・プランタジネットの子である可能性が高いということです。

⇒Y染色体分析から分かったこと=エドワード三世の代から現代に至るまでのどこかで托卵があった

 

さて…この説明でお分かりいただけたでしょうか?

お伝えしたのは、

  • 遺骨はリチャード三世のものだった
  • リチャード三世の曽祖父から複数に分岐しながら広がる複数の家系のどこかで数百年の間のどこかに托卵があり、それがリチャードの母セシリーの起こしたことである可能性はゼロではないがとても低い

という2点です。

DNAやY染色体についてもっと詳しく知りたい方は、この本を読んでください。

英語が嫌じゃない方はこちらもおすすめです。

その他参考にした論文
Identification of the remains of King Richard III

この話題に関心のある方は、こちら↓のヘンリー八世の血液型の話も楽しめるんじゃないかと思います。