「MAGI-天正遣欧少年使節」第7話フィレンツェ篇あらすじ感想-ビアンカ公妃の舞踏会とマンショの身元
「MAGI–天正遣欧少年使節」第7話のあらすじと感想など。
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Contents
「MAGI-天正遣欧少年使節」フィレンツェ篇7話あらすじ
メスキータとフェルディナンド
トスカーナ大公の城ではメスキータが「ミゲルはどこへ行った」と探し回っています。
メスキータは、トスカーナ大公の弟フェルディナンド枢機卿に4人の暗殺依頼ともとれる話をしていたのです。
トスカーナ大公フランチェスコは、ヴァリニャーノの支持者です。
少年使節が教皇に会えばヴァリニャーノが権力を持ち、ひいては大公の地位も盤石になります。
兄の治世をよく思っていないフェルディナンドにとっては望ましいことではないはずと考えたメスキータが、それとなくフェルディナンドに水を向けたのです。
もちろんフェルディナンドはが4人を殺すと約束などしていませんし、殺してもいません。
戻らぬ千々石ミゲルを心配するメスキータに「私が殺したいのは兄だ」と答え、少年たちには何もしていないと言っています。
では、ミゲルと伊東マンショを追ったダメなふたりは何だったんでしょう。まあいいか。
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女体を称える詩を書いた活版印刷を持ち帰ったミゲルがどこへ行っていたのか、メスキータには見当がついたと思いますが、深く追求しません。
※ミゲルが行っていたのは娼館です。
トスカーナ大公とビアンカ公妃
4人はトスカーナ大公とビアンカ公妃に謁見します。
芸術に関心の高かったトスカーナ大公に贈られたのは茶器です。
少年たちは、手にした茶器を眺める大公の隣に控えるビアンカ公妃から舞踏会に招待されてしまいました。
ある意味この旅最大のピンチ!
ドラマでは、事前に原マルティノがダンス指導をしていますが、いくら博識なマルティノでも欧州の宮廷の踊りを知っていたとは思えません。
ぶっつけ本番だったでしょう。
でも4人はちゃんとやりとげます。
帰りの馬車に座る4人は、まだ夢の中にいるような表情をしています。
こんなにも豊かでふくよかで えも言われぬほどなめらかで
この世にふたつとない尊いもの
ミゲルは、娼婦に教わった詩の一説を暗誦。
4人の年齢は定かでありませんが、派遣当時13,4歳だったと言われています。
「派遣当時」が長崎を出航した時だとすると、フィレンツェに着いた3年後は16,7歳です。
断たれるヴァチカンへの道
ローマの手前で一行は足止めを食います。
ヴァリニャーノはマンショを日向の王の子だと紹介していました。
しかしそれは偽りで本当は物乞いの子だという告発状がヴァチカンに届き、卑しい生まれの者を教皇に会わせるわけにはいかないと言うのです。
孤児祐益は、キリシタンに拾われ、育てられました。
その人が信仰のために村八分を食い、物乞いをしていたのも事実です。
でもマンショ自身が自分を王の子と話したことは、一度もありません。
スペインではフィリペ2世に「物乞いに育てられた」と言ってさえいます。ドラードが配慮からそれを通訳するのを控えたのです。
ヴァリニャーノに遣欧の話を持ち掛けられ、説得されてここへ来たマンショが、なぜ今身元を責められるのか。
王の子でなければローマ法王に会わせないと言うカトリック教会の説く「イエスの愛」とは?
キリスト教への帰依を保留にしていたマンショが、初めてロザリオを首にかけた矢先の出来事でした。
外では「MAGI」「MAGI」と、東方からの使者を歓迎する声が聞こえています。
でも4人はここから先へ進めません。
「MAGI-天正遣欧少年使節」7話フィレンツェ篇感想など
メスキータの矛盾
フェルディナンドが少年たちを殺してくれたら…と望んでいたはずのメスキータは、帰って来たミゲルを見て安心しているように見えます。
東方三賢人として3人を確保するため、途中でひとり死ぬ可能性を考えて4人を送ったはずのヴァリニャーノが、出発するとひとりも死なせてはならないと思うようになったという話もありました。
ヴァリニャーノと同じようにメスキータにも矛盾した心があり、それが人間というものだということなのでしょう。
舞踏に挑む4人
裃を着た少年たちが、ビアンカ公妃の舞踏会で踊るエピソードは、困難の続く旅の中で異彩を放つシーンです。
この舞踏会は実際に開かれたもので、マンショがビアンカ公妃と踊り、中浦ジュリアンは、緊張のあまり老婦人にダンスを申し込んでしまったのも史実とおりです。
日本へ帰ればキリシタン弾圧が待っています。
厳しいものだった4人の生涯にこんな場面があったことがうれしいです。
使節団の身分
身分の低い者は教皇に会うことができないとは、宗教者の言うこととも思えませんが、これは現代の感覚で、当時は常識として誰も疑問を持たないことだったでしょう。
400年前のことを今の感覚で裁くのも乱暴な話なので、まあ仕方ないのかなと。
このエピソード自体がおそらく創作ですし。
検索しただけなので確かなこととは言い切れませんが、旅の途中でマンショの身元が問題になったという話は、見当たりません。
綾城が落城し、祐益ひとりが生き残ったのは本当のことですが、城主の子だったのも事実で、王の子と言っても嘘ではないような気もします。
実在の祐益は、セミナリヨの学生でした。
セミナリヨには、ある程度の家柄の者しか入れなかったという話からも、世が世ならいずれ城主となっていた祐益は、それほど身分を蔑まれてはいなかったのではないかなと想像がつきます。
ヴァリニャーノらが偽造したかもしれない書面の存在
ただ、「大友宗麟の名代」として派遣されたという点については疑問が残るという研究があるようです。(松田毅一氏)
史実では、当初使節団に入る予定だった伊東祐勝という人物が出発に間に合わなくなったため、急遽マンショが代役に決まったのだそうで、大友宗麟がマンショを指名したわけではない可能性が高いとのこと。
(伊藤祐勝は大友宗麟の血縁。マンショは遠縁)
大友宗麟の書状としてヴァリニャーノが持っていた文書にある署名が宗麟が普段使っていた表記と違っていることもあり、この書状はヴァリニャーノらが偽造したものではないかと見られるとも。
こうしたことから着想を得たエピソードかもしれませんが、そのことがローマ法王との謁見に差し支えたという話は見当たらなかったということです。
トスカーナ大公の死因
弟フェルディナンドが毒殺したと噂されたこともあるトスカーナ大公ですが、2010年には遺骨からマラリアの形跡が発見され、毒殺説は否定されています。
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