「MAGI-天正遣欧少年使節」第8話ローマ篇あらすじ感想-法王に会う理由
「MAGI–天正遣欧少年使節」第8話のあらすじと感想など。
ネタバレしています
ネタバレなし版はこちらに
Contents
「MAGI-天正遣欧少年使節」8話ローマ篇あらすじ
法王に会う理由
突然伊東マンショの身元が問題になり、足止めされて籠る宿で4人はそれぞれに考えます。
中浦ジュリアンは、人を助けて死んだ幼なじみのことを思い出します。
彼は強かったのではない。自分の弱さを知っていたのだと気付いたジュリアンは、強くなりたいと願いながら弱さから目をそらしていた自分を省みています。
伊東マンショは、孤児になった自分を拾って育ててくれた人の話をします。
我が子同然に接してくれる優しい人でしたが、信仰のために家族からも疎まれ、いつもひとり。
そんな人を身近に見て来たマンショは、知らないうちに信長と同じ問い、「イエスの愛とは何か」「自分を信じてまっすぐ生きるとはどういうことか」という問いを心に抱えていたのでした。
千々石ミゲルは、マカオで売られて行った少女のことを思います。
少女を助けることもできず、奴隷取引を放置する法王に会う自分を許せないミゲルは、「ローマになんか行かなくていい」、声を荒げてそう言います。
ミゲルに続いて「物乞いの子は来るな言うなら俺も行かない」と言うマンショとは対照的に、ローマに行けば活版印刷機が手に入ると話す原マルティノは前向きかつ冷静です。
「俺は行く」
でも、マルティノがなんとしても法王に会いたいのは、ひれ伏して慈悲を請うためではありません。
マルティノは、こう言うのです。
「法王に聞きたいことがある」
ガリレオを異端として裁こうとするカトリックの方針を受け入れられないマルティノは、教皇にその理由を聞くのだと心に決めていたのでした。
するとミゲルが「ならば俺も奴隷を黙認する理由を聞きたい」と言い、マンショも「イエスの愛とは何かを聞きたい」
それを聞いたメスキータは激怒します。
法王に質問するなどとんでもないこと、身の程をわきまえろと。
物乞いの子は法王に会えなくて当たり前だとも。
「東の果ての小さな国から来た人間が西洋を舐めるな」
これがイエズス会の本音です。
秀吉のキリスト教布教禁止令とバテレンの軍事制圧論
日本では、秀吉がふたりのバテレンを御前に呼んでいます。
バテレンは、ルイス・フロイスとフランシスコ・カブラル。
「仏教や神道では人は導かれない、キリストの教えこそが正しい教えだ」と抜かすふたりに秀吉は、「ポルトガルの商船が日本人奴隷を運んでいることをなぜ許しているのだ」と尋ねます。
秀吉がふたりに宣言したのは、
「ポルトガルに売られた日本人をすべて買い戻せ」
それができないなら
「一切の布教を禁じる」
全奴隷を取り戻すことなどできるはずがなく、これは事実上の布教禁止令です。
カブラルは、「スペインの戦艦を呼ぼう」と言い出します。
軍事力で制圧すれば簡単にキリストのありがたい教えが日本に広まるのだそうで。
ありがた迷惑とはこのことだわ。
ドラードがマンショに、キリスト教には優しさと残虐性の二面性があると語っています。
二面でも三面でもよその宗教の中身はなんでもいいですが、マイナス面むき出しでかかって来られる国はたまったもんじゃないわ。
「MAGI-天正遣欧少年使節」8話ローマ篇感想など
三賢人の問い
ローマ法王は物乞いの子とは会えないと言われ、マンショは困惑しています。
もういいじゃんなにもさ、そんなとこ行かなくたって。物乞いの子が天下とった日本に帰って来なよ。
私はそう思ってしまいます。
メスキータは教皇を「すべての国の王の上に立つ存在」だと言いますが、私たちの国の上にはお立ちになってらっしゃいませんのでね。
少年たちも半分そんな気になっているでしょう。
しかしマルティノの一言で彼らの心は変わります。
「法王に聞きたいことがある」というマルティノの言葉は画期的でした。
日本人奴隷のことを知った時でさえ特に怒りを示さなかったマルティノは、合理的な考え方をする人で、無意味に思い煩ったりしません。
かわりに、やれることがあるなら迷わずそれをします。
ガリレオを異端諮問所へ召喚している張本人に会える機会があるなら会い、聞くべきことを聞くのが彼の流儀です。
旅をするうちに少年たちの心に湧いたキリスト教への疑問。法王に直接問うことなど思いもしなかったでしょう。
でも問いを投げかける相手として法王以上にふさわしい人はいません。
この旅が、ヴァリニャーノの野心からはじまったものだとしても、少年たちには関係ありません。
西洋の大国。カトリックの権力。法王の地位。なにもかも関係ありません。
苛烈に青春を生きる少年たちにそんなものが通用するはずがありません。
彼らは今、自分の生き方を探しているのです。
これは青春の戦いなのです。
9話はこちらに