「MAGI-天正遣欧少年使節」第1話長崎篇あらすじ感想など-Shimoからローマへ
「MAGI–天正遣欧少年使節」第1話のあらすじと感想など。
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「MAGI-天正遣欧少年使節」第1話長崎篇あらすじ
日向の山を逃げる一家
1570頃九州・日向
山の中を逃げる人々がいます。
一家のように見える一団は、力尽きて倒れる者や泣き叫ぶ赤子を殺しながら進み、とうとう小さな男の子と若い女性のふたりきりになってしまいました。
女性は、少年に詫びながら首に刃物を当てて自害します。
まだ5歳くらいに見える少年は、ひとりで山道を這いあがって行きます。
京の信長
同じころ、京都では織田信長がイエズス会の宣教師ルイス・フロイスと面会していました。
フロイスは、カトリックの布教のために2年の航海を経て日本へやって来たのでした。
Shimo-九州西部のイエズス会
当時、九州西部の宣教師たちはその地域をShimoと呼んでいました。
Shimoでは、巡察師ヴァリニャーノが、日本人司祭を育成する方針を打ち立て、まずはヴァチカンへキリシタンの少年を派遣しようと提案しています。
日本人司祭…日本人がローマ法王に謁見…
イエズス会士カブラルとメスキータには到底受け入れられません。
しかしヴァリニャーノの決意は固く、使節団の人選を始めます。
カブラルとメスキータは、ヴァリニャーノがイエズス会の権力を握るために大きな行動を起こそうとしていると解釈し、なんとしても妨害しようと考えます。
ヴァリニャーノに功名心がないわけではなく、ふたりの推察はある程度当たっています。
ヴァリニャーノは、聖書の東方三賢人の伝説を現在のローマに再現することを望んでいますが、そのために少年を4人ほど選んで出航しようと言います。
3人でなく4人なのは、過酷な旅なので途中でひとりくらいは死ぬかもしれないから。
フロイスとメスキータは、唖然としてヴァリニャーノを見ています。
使節団に選ばれる4人の少年
ヴァチカンへ向かう4人とは、千々石ミゲル、中浦ジュリアン、原マルティノの3人のセミナリオ生と、キリシタンに育てられ今は教会に暮らす孤児祐益です。
洗礼名を持つ三人は、信心深く、自ら志願して西へ向かう者たちですが、祐益だけは違います。
祐益は、山を一人で逃げのびたあの少年なのです。
「MAGI-天正遣欧少年使節」第1話感想
祐益は、裸で十字架にかけられた男を敬うのが理解できず、キリスト教を信じていません。
情緒を理解しないすさんだ少年と、祐益を切り捨てることはできません。
裸で十字架にかけられた男は、それだけを見れば何かに失敗した男であり、敗者です。
私が子供の頃、初めて十字架のイエスの絵を見た時、同時に「この人はイエス様といって外国ではみんなが尊敬している人だよ」という説明も聞きました。
「イエス様という人は偉い人」私がそう思ったのは、他の人がそういうふうに扱っているのを見て同じように思い込んだから。
幼い頃、一夜ですべてが変わってしまった経験を持つ祐益は、常識とされていることも簡単には信じないようになったのか、それとも並外れて賢く、事象を冷静に客観視する能力があるのか。
大人たちがありがたがって拝んでいるものに疑問を感じるこの少年はタダ者ではありません。
祐益が一行に加わるのは、信長に会いたいから。
ヴァリニャーノの目当ては、信長から法王への親書を預かることですが、その際、使節団の少年たちを帯同させ信長と会わせようと考えています。
世の中のすべてを敵に回して戦い抜いたという織田信長に自分と似た何かを感じたのでしょう。
親がなく、幼少期の悲惨な体験に心を支配されている祐益は、どう生きたらいいのか悩む一方で、教会の説話を受け入れることもできず、もがいています。
こうした境遇にある子供が、宗教に救いを求めずに成長したことは驚くべきことと思います。
少年はけなげにも、与えられる答という傘の下に生きるのではなく、どこかにある真理を探そうとしています。
信長の中に何かがあるのか、海の向こうで何かを見つけられるのか、祐益にもまだ分かりません。
でも、探さなければ生きていけないとすら思う。そんな懊悩の只中に祐益はいます。
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