「MAGI-天正遣欧少年使節」第9話ヴァチカン篇あらすじ感想-教皇が少年たちに与えたもの
「MAGI–天正遣欧少年使節」第9話のあらすじと感想など。
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「MAGI-天正遣欧少年使節」9話ヴァチカン篇あらすじ
ヴァチカンへ行けるのは3人だけ
足止めを食う一行のもとへイエズス会の使者がやって来ます。
スペイン、フィレンツェなど、これまで訪問した場所から、そろそろ使節がつく頃だと法王への贈り物が次々に届き、枢機卿たちもこれ以上反対できなくなったという知らせでした。
喜ぶ少年たちでしたが、法王に会えるのは3人だけだと言われます。
東方三賢人として会うのだから3人だとメスキータは説明していますが…

どうやって3人を選べばいいのか、少年たちは途方に暮れますが、中浦ジュリアンが、辞退を申し出ます。
最も信仰が深く見えるジュリアンが遠慮する理由は、「僕は心の中のキリストに会えたから」
他の3人には、それぞれ教皇に聞きたいことがあるのだから、会ってきてくれと言うのでした。
聖堂へ向かうのは、伊東マンショ、千々石ミゲル、原マルティノの3名です。
「MAGI」「MAGI」とシュプレヒコールを挙げる群衆をかき分けて進む少年たちに、メスキータは、法王に質問することを固く禁じ、通訳のドラードを伴わずに聖堂へ入ります。
ローマ法王
法王の答えるイエスの愛

マンショは、信長から託された問いを法王グレゴリウス13世に投げかけます。
「イエスの愛とはなにか」「自分を信じまっすぐ生きるとはどういうことか」
メスキータがためらいながら通訳すると、左右に控える枢機卿たちがざわめきます。無礼と思ったのでしょう。
「この歳になってそのような質問を受けるとは思わなかった」
気分を害しているともとれる言葉ですが、法王は、その質問に答えて言います。
イエスにとっても他者を愛することは難しく、だからこそ「愛せ」と言った。イエス自身もまっすぐ生きることができているか分からず、悩み続けた。十字架の上でイエスの言った「赦す」とは、そんな自分自身のことをも赦すという意味なのだろう。
そして、
私も自分を赦せるかどうか分からない
とも。
心を痛める奴隷問題
「法王もお疲れでしょう…」とメスキータは一刻も早くこの謁見を終わらせたがっています。
でもミゲルは、メスキータを振り切って言います。
「なぜ奴隷売買を許すのですか」
顔を背け、断じて通訳しないという態度のメスキータに代わって、マルティノが訳すと、枢機卿のざわつきは一段と高くなります。
法王は、たびたび禁止令を出しているが治まらない。すまないと思っていると、この質問にも真剣に答えました。
教皇の謝罪
マルティノは、ガリレオをなぜ異端扱いするのかと聞きます。
法王が立ち上がって言ったのは「君の問いに答えられなくて済まない」でした。
謁見の終わりにマンショが法王に願い出たある希望は叶えられ、祈りながら待つジュリアンは、急いで聖堂へ向かうことになります。
マンショは法王に、ジュリアンにも会ってくれるよう頼んだのでした。
「MAGI-天正遣欧少年使節」9話ヴァチカン篇感想など
偉大な法王の偽りなき答

ローマ法王は、マンショと信長の問いにもっともらしい言葉を並べて答のふりをすることもできたはずなのに、そうはしませんでした。
イエスを生涯悩ませ、法王にも分からないことを、訳知り顔で話せば、必ずマンショはそれを見抜いたでしょう。
奴隷取引が止まないことを残念に思うと正直に言い、ガリレオと異端の問題に答えられないことについては、詫びの言葉まで。
この謁見でのやり取りは完全にフィクションでしょう。
マンショが教皇の靴にキスしてる絵もあるし。

でもそんなことはいいのです。話の中心は歴史的事実はありません。
…クリスチャンの方や海外の方はもしかして怒ってるかも?
失望と勇気
少年たちは、旅する中で大人の汚さをたくさん見せられました。
一度は首にかけたロザリオをちぎって捨てたマンショの心にあったのは、カトリックへの失望ではありません。
大人たちへの、この世界への失望です。
命がけの旅は、少年たちを傷つけるだけの結果に終わるかもしれませんでした。
真実を求める彼らの心で消えかかっていた火が法王によって再び明るく灯ったことでしょう。
同時に彼らは、理想に生きることの難しさを知ったことでしょう。
誰もが正しく生きたいと思っています。
でも、人生には「こちらが正しい道ですよ」と示す道しるべなどありません。
宗教に道案内を求めてみても、すべての道を書いた地図が開示されることはありません。
正解などないからです。
それでも、私たちは答のない世界を歩いて行かなければなりません。
あの聖堂で少年たちが得たものは、そんな迷いの森へ分け入ってゆく勇気です。
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