シャマラン三部作を「ミスター・ガラス」から見始めてしまった人用解説
「ミスター・ガラス」は、「アンブレイカブル」「スプリット」と続いてきたM・ナイト・シャマラン三部作を締めくくる作品です。
2作目の「スプリット」は、「アンブレイカブル」を見ていなくても話を理解できる作りでしたが、「ミスター・ガラス」は、「アンブレイカブル」と「スプリット」を見ていないとよく分からないだろうと思います。
「ミスター・ガラス」を見るなら、「アンブレイカブル」から順番に見るのをお勧めします。
とは言いながら…
「ミスター・ガラス」から見始めてしまった人用に、主要な登場人物について簡単に説明します。
Contents
ミスター・ガラスの登場人物(スーパーパワーの持ち主)
デヴィッド・ダン
演:ブルース・ウィリス
怪我をしない特殊な身体の持ち主
多くの死者の出た列車事故でデビッドだけが無傷だった。
デヴィッドは、自身の不思議な力にうすうす気づいてはいたものの、あまりに荒唐無稽なことと、追及するのを避けていた。
骨形成不全のイライジャに出会い、自分の能力を認めて活かすべきだと諭される。
すれ違うだけで危険な人物を見抜く才能も持っているデヴィッドは、誘拐犯を探し出し、監禁されていた女性を救出するのに成功する。
今は、息子の協力を得て悪人を倒す非公式活動を続けている。
正体を明かすことなく人を助ける謎の男を人は「監視人」と呼ぶ。
小学校時代にプールで溺れた経験があり、水が弱点
デヴィッドの理解者:ジョゼフ
息子
両親が離婚の相談をしている中、不満も言わずに耐えていたジョゼフは、父親がどんなに重いバーベルでも持ち上げられることに気付き、「パパはスーパーマンだ」と有頂天になる。
しかしデヴィッドに「このことは秘密だ」と言われ、その約束を守る。
その後母親は病死。
今は情報収集等でデヴィッドを後方支援している。
イライジャ・プライス
先天性の骨形成不全症のため、ごくわずかな衝撃ですぐに骨折してしまう体質ながら、非常に優れた頭脳を持つ。
漫画のヒーローへの憧れが強く、研究するうちに「屈強なヒーローとは、自分と同じスペクトラムの対極に位置する者である」との独自の考えを持つようになる。
であれば、骨形成不全症の存在するこの世界には、まったく怪我をしない人間もいるはずと仮説を立て、そうした人物をあぶり出すためにハッキング技術で列車事故を起こした。
その事故でひとり生き残ったデヴィッドに接触を試み、彼を人助けに目覚めさせるが、列車事故を仕組んだことを見抜かれ、通報されて逮捕された。
逮捕後「ミスター・ガラス」とあだ名され、精神病院に収容されている。
イライジャの理解者:母親
不憫な身体に生まれつきながらコミックヒーローの研究を極め、その道で身を立てる息子を誇りに思っている。
ケヴィン・ウェンデル・クラム
解離性同一性障害(=DID,多重人格)の患者の基本人格。
ケヴィンの持つ人格の中には、6歳の少年ヘドウィク、極度の潔癖症のデニス、女性のパトリシアなどがいて、それぞれの人格が表に出ている状態を「照明があたっている」と言っている。
「ケヴィン・ウェンデル・クラム」は、彼の本名で、虐待者である母親がケヴィンを叱る時にそう呼んでいたことから、今も呪文のような効果を持つ言葉。
どの人格に照明が当たっている時でも「ケヴィン・ウェンデル・クラム」と聞くと、強制的に基本人格のケヴィンにスイッチされる。
逮捕される少し前に現れた「ビースト」という人格は、素手で壁を上ったり、道具を使わずに鉄格子を曲げたりする驚異的な身体能力を持っている。
ビーストは獣で、非常に凶暴。
長らく診察を受けていたセラピストや拉致した少女ふたりを殺し、逮捕された。
逮捕後「ボード(群れ)」とあだ名される。
ケヴィンの理解者:ケイシー
演: アニャ・テイラー=ジョイ
ふたりの同級生と一緒にケヴィンに拉致された女子高生。
幼少期より叔父からの性的虐待に耐えていたケイシーは、ビーストも含めたケヴィンの全人格と愛情あるコミュニケーションが取れる。
ビーストがケイシーを殺さなかったのは、ケイシーの体に残る無数の傷跡から、自分と同様に虐待を受けていることが分かったから。
拉致から解放された後、叔父は逮捕され、安全な環境に暮らす今のケイシーは心身ともに健康そうに見える。
と、書いては見たものの…
やっぱりアンブレイカブルから見た方がいいです(笑)
アンブレイカブルが一番面白いし…え?
次に面白いのがスプリット…え?
※個人の感想です。
スプリットについてはこちらに
シャマランの仮の表現?
「人は非凡を許さない」というテーマと思って見ていたらそうではなく、テーマは「均衡」?
悪の存在は善を呼ぶけれども善もまた悪を呼んでしまうという社会の悲しい法則のもと、コミックで言えば「正義の味方」に位置するデヴィッドも死ななければならなかった?
…あれ?社会は自然に均衡するはずで、ならば介入は不要では?
やっぱり「人は非凡を許せない」という話のような…
それが好ましい才能であっても、アベレージからはずれた存在を許さないのが人間社会です。
スポーツ、芸術、研究などなど、様々な分野で才能ある人がポジティブに評価されますが、同時に他人の監視に晒されるという理不尽な罰を受けています。
傑出した才能という目障りな存在を抹殺するための言い訳に均衡が使われているように見えて…
どうしたわけか、この「ミスター・ガラス」は、気持ちを集中してみることができなくて、重要な要素を見落としているかもしれません。
いずれ「アンブレイカブル」から3作品を続けて見直してみようと思います。
ただね…これはもしかするとシャマランにとってもまだ仮の表現かもしれないなとも思ったり。
出し切れなかった何かがまだあるのかも。
いずれまた違う作品でシャマランの世界を見ることが出来るとすれば、それはそれで喜ばしいことです。
などなど考えていたら、Youtubeにディズニーのインタビューに答えるシャマランが「1時間以上カットした」と話している動画がありました。
集大成としての作品がいつか出るんじゃないかと期待してもよさそうに思います。
断じてミスター・グラスではない
まあそれはそうと、これだけは言いたい!
タイトルは「ミスター・ガラス」でいいのです。「ミスター・グラス」ではなくて。
いいと言うよりグラスじゃダメ。
日本では、ガラスとグラスでは指し示しているものが違います。
ガラスは素材全般のことで、グラスは食器のこと、言ってみればガラス製のコップのことです。
それが日本的な発音による一種の誤りだとしても、おかげで一つの単語で異なる物を簡単に言い分けられているなら、むしろ幸運なことです。
グラスという発音しかない国の人んちは不便でかわいそうねくらいのもん。
イライジャは、ミスター・グラス(=ガラス製のコップ男)ではありません。ミスター・ガラスです。