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中野京子著「ヴァレンヌ逃亡マリー・アントワネット運命の24時間」感想など

2020年8月9日

中野京子氏の「ヴァレンヌ逃亡 マリー・アントワネット 運命の24時間」を読みました。

ヴァレンヌ逃亡とは、フランス革命中、ルイ16世マリー・アントワネットが子供たちと数人の近親者を伴って国外へ脱出しようとしたけれども失敗した、あの亡命未遂事件。

世界史の教科書にもある有名な事件ですし、ツヴァイクの伝記「マリー・アントワネット」や池田理代子の漫画「ベルサイユのばら」にも取り上げられているので、あらましは知っている人が多いでしょう。

ヴァレンヌ逃亡はなぜ失敗したのか

私の聞いていた説は、フェルゼンの用意した馬車が豪華すぎて目立ってしまった。アントワネットのわがままで休憩しすぎて時間を食った…などでした。

つまり、フェルゼン、アントワネットを含む亡命メンバー全員が危機感を欠き、革命を甘く見て油断していたからだと。

でも中野氏によると、最近の研究の結果、ヴァレンヌ逃亡には別な説明が可能になっているとのこと。

「ヴァレンヌ逃亡 マリー・アントワネット 運命の24時間」に登場するアントワネットは終始先を急ごうとしていましたし、フェルゼンの準備は周到なものでした。

馬車が豪華だったと言っても、革命当時フランス国内の貴族が国外へ逃げるのは珍しいことではなく、そうした貴族が使う程度の馬車だったようです。

国王一家は急いで帰国するロシア貴族のふりをしていたのですから、その設定に見合った馬車だったと言えるでしょう。

ヴァレンヌ逃亡失敗 パリへ連行
PublicDomain-パリへ帰還するルイ16世

ではなぜ一行は逃亡に手間取り、捕まってパリへ送り返されることになったのか…。

本作「ヴァレンヌ逃亡」では、国王ルイ16世の数々の判断ミスが敗因だったということになっています。

日頃から優柔不断で知られていたルイ16世が、この時ばかりは独断を連発したのです。

強硬な態度でフェルゼンを帰し、ここで休憩しよう、もう一休みしようと旅程を遅れさせたばかりか、人目のある場所で馬車を降りてしまったり…

逃亡が失敗することを知っている身としては、あきれてしまう呑気ぶりです。

綿密な計画も次々に変更されては意味がありません。

国王は何を思っていたのでしょう。

フェルゼンの計画に従うのが面白くなかったのかもしれません。

まず第一にアントワネットの愛人だから。

でもそれだけではなく…

慎重なプランはそれ自体が、国民の国王一家に対する悪感情の強さを示していますが、どうもルイはこの時、まだ国民は王を敬愛していると思い込んでいたフシがあり、革命派の少ない土地でさえ誰にも顔を見られてはならないというフェルゼンの方針を王室への侮辱と解釈したようにとれる場面もありました。

また、逃亡はヴァレンヌを通って国境を越え、アントワネットの母国オーストリアへ亡命する計画でしたが、国王は国外まで出る気はなかったと書かれています。

ルイ16世以外のメンバー全員が「亡命」と認識している中、中心人物であるルイは、国境近くの町にとどまって声明を発布し、政治体制を刷新するという心づもりでいたようなのです。

元々ルイ16世は、革命自体には反対していませんでした。国民と強調協力して新たなフランスを作ろうとするスタンスでしたし、フランスの人口の大半を占める平民たちも同じ気持ちでいました。事をややこしくしたのは、特権にしがみつく貴族たちだったのです。

そのあたりの話はこの本↓に詳しく書かれています。

深夜の逃避行はあくまで「危険なパリからの避難」であって、国を捨てて逃げる行為ではないのだから、国民は理解してくれると考えていたようで…

元々「話せば分かる」範疇のことをしようとしていただけのルイ16世と、亡命先のオーストリアから兵を送って革命を叩き潰そうとしているアントワネットらでは、緊張感が違うのも無理ないですよね。

読後はルイ16世の印象に変化が

逃亡が失敗に終わり、一気に高まった王室への反発が革命を加速させる結果になったのは皆さんご存知の通り。

逃亡の最中にあってさえ「余は王なのだから安全だ」と信じていたルイ16世も断頭台にかけられます。

処刑前のルイ16世
PublicDomainギロチンで処刑される直前のルイ16世

ルイ16世がこの日のことをどれほど悔やんだことか…ずっとそう思っていましたが、本を読み終わった今は、意外に後悔なんがしなかったかもしれないなと感じます。

全編を通じてすべての判断を誤り続けたダメな王様です。でも、失敗談の中にこそ、王であるというアイデンティティが光っているように思えてなりません。

遺伝子に組み込まれているかのように強固な王たる自覚とでもいいましょうか。

この人は国王としてしか存在しえない人だったのだと、ひとつひとつのミスがそれを証明しているように見えるのです。

であれば、王だからこそ革命の象徴となり、王だからこそ処刑されるのだと考え、王冠とともに散る運命に身を任せたのではないかなと。

もちろん、処刑時には王権は消滅していますし、国家の一大事における受動的な態度がルイ16世の政治能力の低さを示しているとも言えるのですが…

フランス革命という世界史の大事件においてどうにも影の薄いルイ16世の実像が、逃亡の一夜に築いた失敗の山によって浮かびあがって来たような、とても面白い読書体験でした。

臨場感があって読みやすい文章がそうさせるのでしょう。

中野氏の本作はヴァレンヌ逃亡失敗に関するおなじみの説を覆すものです。

バレンヌ逃亡について私がこれまでに読んだのは、ツヴァイクの「マリー・アントワネット」と遠藤周作「王妃マリー・アントワネット」、川島ルミ子「マリー・アントワネットとフェルセン、真実の恋」です。

ツヴァイクは、王室一家に質素な支度をできず豪華にしすぎたフェルゼンのミスが致命的ととらえていた印象、遠藤周作本ではここにアントワネットのわがままが重なって旅が遅れたと書かれていた記憶があります。川島ルミ子版では「逃亡はしない」と断言していた国王がアントワネットに説得されてとうとう逃亡に同意してしまうその過程を詳細に書いていて、その翻意こそが失敗であり、もっと言えば逃亡計画そのものが王家終焉の一因であったことが強調されています。

もっと最近の書物ではどうなっているのか…とりあえず佐藤賢一の「小説フランス革命」を次に読みます。