映画「孤高のメス」のあらすじ感想と日本の臓器移植、関連書籍など
WOWOWでオリジナルのドラマが制作された「孤高のメス」は、大鐘稔彦氏の同名小説を原作とした物語で、2010年には映画も作られています。
映画版「孤高のメス」を見たので感想など。
Contents
映画「孤高のメス」
2010年日本
監督:成島出
脚本:加藤正人
映画は、急死した浪子の息子弘平が見つけた看護婦時代の日記をベースに進行します。
(原作小説、WOWOWのドラマは看護師視点ではありません)
浪子は、現役の看護師で勤務中に病院で倒れましたが、その病院では処置が受けられず、病院をたらいまわしにされているうちに亡くなったと冒頭で語られます。
浪子は、優秀な外科医の当麻のいる病院で働いていたはずなのに、なぜ?
その時当麻はいなかったのか。
なぜ当麻はいなかったのか。
これがストーリーのポイントになります。
映画「孤高のメス」あらすじ
※結末までは書いていませんが中盤あたりまではネタバレしています。
医師当麻鉄彦
田舎町の「さざなみ市民病院」に新しい外科医、当麻鉄彦が赴任してきます。
当麻はアメリカで肝移植を修めた優秀な医師です。
それほどの経歴を持つ当麻が、地方の小さな病院で働くのには明確な理由がありました。
当麻は子供時代に母を亡くしています。
町医者に盲腸を腸炎と誤診され、安静にしていれば平気だとの指示を信じて痛みに耐えているうち手遅れになり、死んでしまったのです。
「どんな地域に住む人も等しく高度な医療を受けるべきである」
当麻はこの信念のもとに、名もない病院を転々としてきたのでした。
当麻の技術
初出勤の日のうちに当麻は緊急手術を受け持つことになります。
ヘパトーマの患者ですが、難しい手術なので他の病院へ送ろうと相談しているのを聞いた当麻が、搬送は患者の負担になるので私が手術すると申し出たのです。
日頃そんな難しい手術をしたことのないスタッフは不安げですが、手術が進むにつれ、当麻の技術に魅了されていきます。
素早く美しい手術によって患者が死の淵から生還する頃には、手術室にはこれまでにない充実感が広がっていました。
手術室で機械出しを担当する浪子は、当麻の役に立とうと日々研鑽を重ね、次に必要になる器具は何なのか予測し、正確に手渡せるようになっていきます。
院内の古株野本医師の怠慢
抜群の腕前を持ち、患者本位で治療を進める当麻は、すぐに職員の信頼を集めるようになりますが、医局の腐敗にどっぷりと浸かっていた古株の医師たちは面白くありません。
外科医長に居座る野本は、当麻を失脚させる機会を窺っています。
この野本一派は、さざなみ病院の病巣です。
派閥を組んで病院を牛耳り、患者に対する誠意なとみじんもありません。
開いた患者の内臓に癌があるのを知りながら、手間を惜しんでそのまま縫合し、家族には「手遅れでした」と説明。
患者が死んでも見送りにすら来ません。
そんな野本の下で働くのに耐えられなくなった若い医師青木は、当麻の推薦でピッツバーグに研修に行きます。
大川倒れる
ある日、市長の大川が吐血して倒れます。
重症の肝硬変でした。
大川を助けるには肝移植しかありませんが、生体肝移植には適合するドナーが必要です。
近親者の肝臓は大川に適合せず、このままでは大川は起き上がることもなく死んでしまうでしょう。
教師武井静の一人息子が脳死状態に
同じころ、浪子の息子弘平の学校で教えている女教師静の息子まことがトラックにはねられ、さざなみ病院へ運び込まれます。
脳死と判定されました。
まことが目覚めることは永遠になく、2週間以内には心臓も止まるだろうとの診断です。
母静は当麻に「息子の臓器を他の誰かに移植してほしい」と懇願します。
時は1980年代。
日本では脳死者からの臓器移植は許されていません。
少し前に北海道で行われた臓器移植では、執刀医が逮捕されました。
それでも当麻は言います。
「やりましょう」
臓器移植法について
現在の臓器移植
2019年の日本では、一定の条件の元での臓器移植が認められています。
何度かの法改正があり、現在は、遺族の承諾があれば臓器移植が可能です。
心臓移植事件
映画の中に出てくる「札幌で心臓移植が殺人罪騒ぎになった」事例はこのことと思います。
1960年代の出来事で告発したのは漢方医らの団体。
殺人罪、業務上過失致死罪、死体損壊罪での告発はすべて不起訴になりました。
事件のドキュメンタリー本「凍れる心臓」
事件当時同じ札幌医大の講師だった渡辺淳一の小説「白い宴」
吉村昭の「神々の沈黙-心臓移植をめぐって」
などの書籍があります。
映画「孤高のメス」の感想など
当麻が逮捕の危険を承知でこの移植手術を引き受けたのは、患者への愛というよりプロ意識からだったのかなと感じました。
では医師のプロ意識とは何でしょう。
医師とは究極的に何をする職業なのかと考えると、病の苦しみから人を救うことでしょう。
それは愛情あってのことで、患者を思う心を持たない野本は、治せる患者を治さず死なせてしまいます。
結局、医療とは愛であり、医師のプロ意識とは人への愛情がなくては成り立たないものなのでしょう。
80年代でもまだ臓器移植が認められていなかったのは、ちょっと意外でした。
技術の進歩に法律が追い付いていなかったのかなと思いますが、映画にも出てくる札幌の心臓移植の事例が日本の移植手術の進展を遅らせたという見方もあるそうで、事情は複雑です。
札幌の事件は、提供を受けた人が術後3ヶ月足らずで亡くなってしまったこともあり、議論を呼ぶものだったのですね。(今までこの件を知りませんでした)