ドラマ「ザ・ナイト・オブ」あらすじ,感想,タイトルについての考察など
主人公ナシール・カーン(ナズ)は、NYに暮らすパキスタン系アメリカ人です。
北米のムスリムという立場の難しさはありますが、大学に通い、放課後にバイトして、女の子との出会いのチャンスにはそれなりにがっつく普通の青年です。
そんなナズが殺人事件の容疑者になり、囚人になり、被告になり…。
HBOのドラマ「ザ・ナイト・オブ」は、一夜にして人生の変わってしまう青年の物語です。
「シンドラーのリスト」の脚本を書いたスティーブン・ザイリアンが監督・脚本・プロデュースを担当しています。
Contents
ザ・ナイト・オブあらすじ
ネタバレしない程度のあらすじです。1話までで分かる話の設定くらいのあらすじ。
ナシール・カーン(ナズ)は、大学の友人からパーティに誘われます。
女の子も来るというパーティに誘われたナズと友人のアミールは大喜びでしたが、車でナズを迎えに来るはずのアミールが都合で来られなくなってしまいます。
どうしてもパーティに行きたいナズは、家の前に停めてある父のタクシー(父親はタクシードライバー)を無断で借用します。
営業中のタクシーと勘違いして乗車してきた女の子アンドレアが「今夜はひとりでいたくない」とナズを誘い、ふたりはアンドレアの自宅へ。
深夜、ドラッグとアルコールで寝込んでいたナズが目を覚ますと、ベッドのアンドレアは血まみれでした。
あまりのことに動転して家を飛び出したナズは、いくつかの不運が重なって警察署へ連行され、殺人容疑で逮捕されてしまいます。
無実を訴えるナズでしたが、担当弁護士ストーンは「真実はどうでもいい」と言います。
ザ・ナイト・オブの登場人物
ナズと関係者
ナシール・カーン…主人公。パキスタン系アメリカ人。ナズと呼ばれている
サリム・カーン…ナズの父
ハサン…ナズの弟
(ナズのお母さんの名前が分かりません。インド系のようです)
アミール…ナシールの友人
ユセフ・バシアとタリク・マザーリ…ナズの父サリムと共同でTAXI免許を所有し車両を共有しているメンバー。
殺されるアンドレアと関係者
アンドレア・コーニッシュ…殺される女の子
テイラー…アンドレアの義父
エブリー…アンドレアの母(故人)アンドレアが住んでいた家は母の遺産
レイモンド・ハル…アンドレアの投資顧問
警察関係者
デニス・ボックス…引退間近の捜査官
検察側
ヘレン・ワイス…ベテラン女性検事。ボックスともストーンとも旧知の仲
弁護側の人物と関係者
ジョン・ストーン…弁護士。謎の皮膚炎に悩んでいる
グッデン…ストーンと別れた妻との間の子。母親と一緒に暮らしている
ポーリーン…おかまの被告人。ストーンが無償で担当している
アリソン・クロウ…著名な女性弁護士。すでにストーンが担当しているナズのケースを無償で引き受けると言って両親を説得、案件横取り。
チャンドラ・カプール…アリソンの事務所の所属弁護士。インド系。司法取引に応じないナズの担当を降りたアリソンに代わって担当弁護士になる。
事件周辺の人物
トレバー・ウィリアムズ…アンドレア宅前でナズにイスラムがらみの悪態をついた男
デュアン・リード…アンドレア宅前をトレバーとふたりで歩いていた男
カバル…アンドレア宅の向かいの家の主人。ナズがアンドレア宅へ戻ってドアを割るのを見ていた。
ライカーズに収容されている人物
フレディ…囚人。元ボクサーでナズに目をかけている。
ピーティ…新入りの囚人。静かでおとなしい男。フレディはピーティの母親がドラッグを持ち込むのと引きかえにピーティを庇護する。
ライカーズは刑務所なのだと思いますが、なにかと不思議な場所です。
まだ有罪と決まっていないナズが普通に収容されていたり、男子房なのに女性刑務官がいたり…
まさか全部ナズの夢とかじゃないですよね(笑)
「あの夜」のナズのミス
アンドレアが死んでいるのに気づき、家を飛び出したナズは、いくつかのミスをします。
・車のキーを持たずに飛び出す。
→アンドレア宅へ引き返すハメに。
・ドアが外からは開かず、慌てていたナズはドアガラスを割る。
→物音に気付いた向かいの家のおやじに見られ、通報される。
→ガラスで手を切る。
・アンドレアの血の付いたナイフ(凶器)を持ち帰ってしまう。
・車で逃げる途中、信号で横に停まったバイクを気にしてナイフを内ポケットに入れる。
→隠し持っている状態になり、後に警察署内でそのナイフを発見され逮捕。
・左折禁止の交差点を曲がってしまう
→ナズが警察に呼び止められたのは、この違反のため
・飲酒運転
左折禁止違反で車の窓を開けると警察に酒の臭いを勘づかれる。
→アルコールテストで手間取っている間に警察無線にアンドレア宅の不法侵入の情報が入り、現場へ急行しなければならない警官は、ナズをパトカーに乗せたままアンドレア宅へ向かうことに。ナズは帰れなくなる。
・アンドレア宅から出てきた警官に「彼女は死んだ?」と尋ねる
→なぜ家の中で起きていたのが殺人事件で被害者が女性と知っていたのだと疑われる。
…と、たくさん失敗をしての逮捕でした。
前科のないナズは、現場に残した指紋から割り出されることもなかったでしょう。
左折禁止の違反をしなければ、あるいは…
でも…
ふたりが一緒にいるところを見ている人(葬儀屋や家の前で会った二人組など)はいるので、結局はつかまったかもしれません。
逃げずに通報した場合でも、「何も覚えていない」という通報者を「なら無罪ですね」とすんなり信じてもらえるとは思えません。
つまり、ナズの失敗は、いかにもややこしい雰囲気の女の子と関わってしまったことということになりますが…いたし方のない流れだった気も…。
あの状況で女の子をクールにつっぱねられる人ってそんなにいないだろうとも思いますし、ああいう子は、面倒な自分にとことん付き合ってくれる男の人を瞬時に見分ける才能にたけているので、ナズのそういう性質を見抜いていたでしょう。
そうすると、ナズは運が悪かったってこと?
ナズの不運
事件前
・パーティへ一緒に行くはずのアミールの都合が悪くなり、車のあてがなくなる。
→ひとりでパーティに行こうとする
・黙って借用した父親のタクシーの不具合で営業中のランプを消すことができなかった。
→通行人からはふつうのタクシーに見えるので、客が乗ってくる。
アンドレアもそうして乗車した。
逮捕後
この下↓には、2話以降の展開が入っています。
ネタバレになりますのでご注意ください。
警察署内でも、不運が重なったように見えることがいくつかありましたが、パトカーに乗った時にはもうナズの運命は決まったようなものだったので、そこは抜きに。
・事件を担当したボックス刑事の退職の日が迫っていた。
→ボックスは、裁判も終わりに差し掛かるころに事件を洗い直し、疑わしい人物を発見しますが、それまでは、ナズ以外の容疑者の存在を考えることすらしていません。
最後の仕事を退職までに片づけたい気持ちがあったようにも見えます。
そうでなくても、ボックスが新たな容疑者を見つけるのがまだ現役のうちだったなら、もう少し違う展開になり、真犯人が逮捕されたかもしれません。
ナズは疑いが晴れての釈放となり、これがベストな結末でした。
「ザ・ナイト・オブ」真犯人は誰なのか
「真実はどうでもいい」という意味の言葉が度々出てくる「ザ・ナイト・オブ」では、最後まで犯人が誰なのかは不明のまま終わります。
ただ、作中で何人かの怪しい人物がピックアップされています。
真実が力を持たないこのドラマについて、事件の真相を追究するするのはナンセンスなことなのでしょう。
少なくともドラマの制作陣ならやってはいけないことと思いますが、まったく無関係な立場にある一視聴者ならば、アンドレア事件の容疑者についてまとめておくのも許されるでしょう。
怪しい男1 テイラー・コーニッシュ
アンドレアの母エブリン(故人)の若い再婚相手でジムのパーソナルトレーナーが一応の本職です。
過去にもずっと年上の女性と結婚していたことがあり、その女性と離婚したのは、テイラーが彼女の首を絞めたから。
遺産を目当てに年長女性に近づくのを生業としていたふう。
エブリンの遺言ではテイラーに多額の遺産が渡ることになっていましたが、アンドレアの起こした訴えによりその遺言は無効になりました。
ただ、アンドレアが死んだ今はテイラーが相続人です。
アンドレアが一人で暮らしていたNYの家も亡母の遺産で、当初はテイラーの名義になるはずでしたが、アンドレアが相続することになり、テイラーは家を出ていました。
しかしアンドレアは、テイラーが一緒に暮らしていた頃と同じ鍵をそのまま使っていて、テイラーはアンドレア宅に自由に出入りできる状態でした。
怪しい男2 デュアン・リード
ナズがアンドレアとふたりで家に帰った時にすれ違い、イスラム教徒を侮辱する言葉を吐いたトレバーと一緒にいた男。
その場ではトレバーに同調せず、何も言わずにアンドレア宅のほうを見ているだけでしたが、ナズの裁判中に別の事件で逮捕されていました。
デュアンには強盗の前科もあり、押し入った家にあるものを武器に強盗するのがいつもの手口。
アンドレア殺害の凶器も彼女の家のナイフでした。
またあの家の裏口と浴室の窓は鍵がなくても入れる状態になっていました。
これだけで疑うのはちょっと苦しいようにも思いますが、あの夜デュアンは、アンドレアがナズとふたりで家に入るのを見ています。
その様子から、この家には女がひとりと弱そうな男がひとりいるだけだと想像はついたはずなので、ある程度の可能性はある…?かもしれません。
でもデュアンが家に侵入するとすれば目的は強盗だったと考えるのが自然です。
ドラマ「ザ・ナイト・オブ」の中では、金目の物を物色した形跡があったとは語られていません。
怪しい男3 レイモンド・ハル
母親の遺産を相続したアンドレアの財務プランナーでアンドレアとは恋愛関係にありました。
弁護側のストーンやチャンドラは、この男を容疑者と考えていませんが、ボックス刑事が退職後に行った調査で疑惑が浮かび上がります。
あの夜、ナズのタクシーに乗るアンドレアを捉えた防犯カメラの映像をよく見ると、歩きながらしきりに後ろを気にしています。
誰かにつけられているように見える仕草に目を付けたボックスが、アンドレアが曲がり角を曲がる前のビデオを確認すると、レイモンドと口論するところが収められていました。
アンドレアの携帯にはレイモンドからの着信記録が何度もあり、アンドレアがその着信を無視していた節も伺えます。
アンドレアの財務レポートには事件の前に資産が30万ドル減少していることが示され、それはレイモンドが無断で流用したものかもしれません。
事件の時刻は自宅にいたとレイモンド自身は言いますが、その時間にアンドレアの家の近くの料金所を通過するレイモンドの車が撮影されていました。
しかも支払いにはETCではなく現金を使っています。
ボックスはこの疑惑を検事ワイスに伝えますが、ワイスは証拠が弱いとしてレイモンドの容疑を抹殺してしまいます。
ボックスはワイスのその態度に失望し、ワイスはボックスの信頼を失ったことに愕然とするのでした。
最終話でワイス検事がボックスに「レイモンドを捕まえましょう」と提案します。
ワイスもレイモンドが真犯人であると確信している雰囲気でした。
もしかするとボックスの話を聞いた時から、つまりナズの裁判の最中から、本心ではレイモンドを怪しいと思っていたのかもしれません。
だからこそ、陪審員の意見が割れたとき、ナズの訴追を辞退したのでしょう。
怪しい男4 ナシール・カーン
ではナズはどうでしょう?
アンドレアが殺される場面は最後まで出てこないので、誰が真犯人か分からないままですが、ナズではないと言い切れる証拠も実はありません。
ナズの「覚えていない」という言葉は、嘘ではなく、本当に覚えていないのだろうと思いますが、ドラッグとアルコールの影響下にあっての出来事で、何があったのか全く不明なのです。
温和で気が弱そうにさえ見えるナズには、学内で暴力事件を起こした過去がありました。
子供がケンカして相手をケガさせたというだけなら、そう珍しいことではありませんが、その時のナズの状態が問題です。
ナズはその暴力について「理由は説明できない。ただやったのだ」という意味のことを言い、当時の教師は、「事件後のナズは茫然として事態を理解していないようだった」と証言します。
これはどこか、アンドレアの死んだ夜の「何も覚えていない。気が付いたら彼女が死んでいた」というナズの話と似ているように感じられます。
レイカーズでは、ナズにやけどをさせた男に報復リンチをする機会がありますが、その復讐は放っておけば男を殺しかねないほど執拗でした。
この時もナズには怒って無理もない充分な理由はありました。
ただ、我を忘れて相手を蹴り込んでいるように見えたのも事実です。
果たしてナズは無実だったのかどうか…
私は、99%無実と思います。
酔いつぶれて眠っていた状態と、凶行のすさまじさがマッチしないように思うのです。
アンドレアを殺してから眠っていたとすると、彼女をメッタ刺しにする興奮状態からストンと眠りに落ちたことになります。
そんな作用をする薬があるのでしょうか。
ナズの服や体にアンドレアの血が付いていなかったことも通常であれば判断材料になるはずですが、物語の中ではボックス刑事ばかりか弁護側のストーンもチャンドラもそこに注目しないので、返り血はストーリー展開の都合上無視される要素なのかなと。
だとすれば、この点を推理の材料にすることに意味はないですね。
ナズが無実だった場合…
真犯人は、第三者のいる家の中でアンドレアを殺したことになりますが、侵入経路や部屋の照明によっては、ナズの存在に気付かずにいたのかもしれません。
真実に意味はないのか
むろん、そんなはずはありません。
「真実はどうでもいい」と言うのは、「裁判に勝つのに必要なものではない」ということであり、また、刑務所の中で生きていくための現実的な方策のことです。
被告や囚人の無実の主張は、陪審を説得する力を持たず、刑務所という特異な社会で周囲と折り合うには邪魔なものだということです。
裁判は、真実の追求ではなく被告が有罪か無罪かを判定する場であり、陪審員は、被告が犯人であると確信できた場合にだけ有罪と決めるのが原則です。
検察が「ナズが犯人だ」と陪審が納得するような証拠や証人を並べるのに対し、弁護側の仕事は、ナズの無実を証明することではなく、「ナズは犯人ではないかもしれない」と思わせることなのです。
裁判制度において、ナズの真実に出番はありません。
しかし、ナズにとっては重要なことでした。
前述のとおり犯人は最後まで分からず、ナズがやった可能性はゼロとは言えませんが、ナズ自身は「自分はやっていない」と信じていて、彼にとってはそれが本当のことなのです。
信じてもらうチャンスすらない現実に傷つき、ライカーズでは無実を主張したために筋違いの恨みを買い、ナズの中で真実が価値を失っていきます。
繰り返し「真実はどうでもいい」と話したストーンが悪人かと言えば決してそんなことはなく、弁護士と言う立場から依頼人を最善、次善の道へ導こうとしているだけで、彼は意外に誠実な人間です。
ドラマの中で、事件を調査するストーンを排除しようと、ひとりの容疑者がストーンの家族を脅したことがありました。
弁護士の身内を脅すとは見上げた度胸。。。と感心している場合ではもちろんありませんが、ストーンはその容疑者を告訴せず、脅し返して応戦します。
法律には問題の根本を解決する力はない、家族を守るには体を張ってカタをつけるしかないという考えが垣間見える対応でした。
また捜査するボックス刑事も人間的におかしい人物には見えません。ナズにも紳士的でした。
でもその仕事はやはり、裁判のためのテクニックにかたよりがちなところがありました。
マルドナルド巡査の、「自分が事件現場で嘔吐したという記録を削除してほしい」との要請を「陪審員への説得力を持たせるために必要な記載だ」として退ける場面がありますが、ナズが犯人であるという証拠が見つからないかわりに事件の凄惨さを強調して陪審員の心を動かす手法を使ったように見えます。
現行の裁判システムは完全ではないという批判がドラマのサブテーマになっているように感じます。
誰が悪いということではなく、ワイス検事が言っていたとおり、現役勢の上司の上司の上司の上司の代からの問題だと。
「ザ・ナイト・オブ」とは何の夜なのか
ザ・ナイト・オブ・XX の「XX」に入る言葉
「ザ・ナイト・オブ」とは奇妙なタイトルです。
ナイト・オブ・XX の、XX=「なんとかかんとか」の部分が伏せられているのです。
ここに入る単語は何でしょう。
まず思い浮かぶのは、「ザ・ナイト・オブ・マーダー」(殺人の夜)、だとか「ザ・ナイト・オブ・インシデント」(事件の夜)ですが…
周囲から見れば「殺人の夜」ですが、自分が殺したのではないと思っている主人公にとっては殺人の夜ではないので、前置詞 of 以降をぼかしているのでしょう。
では、ナズにとってあれは何の夜だったのでしょうか。
あの夜ひとりの大学生に起きたことを一言で言い表すのは難しいです。
「運命の夜」や「暗転の夜」などなら「殺人の夜」よりはしっくり来ますが、それでもやっぱりそぐわない気がします。
あの夜に起きたことは藪の中、出来事の持つ意味もまた藪の中。
何が起きたのかナズ自身にも分からないけれども、すべてが変わった夜。
こうも空恐ろしい体験に釣り合う言葉が存在するでしょうか。
「ザ・ナイト・オブ・XX」
XXの箇所は、特定の言葉を伏せたり省略したりしているのではなく、表現できる言葉がないという意味なのかもしれません。
邦題「ザ・ナイト・オブ・キリング-失われた記憶」では台無し
以前に某VODサービスで同ドラマが配信されたときには「ザ・ナイト・オブ・キリング-失われた記憶」という邦題がついていましたが…
「殺しの夜」…
いや…ですから…of の後に「キリング」と入れられるようなシンプルな状況なら見てるほうも気楽なもんですけど、そう出来ないから困るのがこのドラマなわけで…。
さらに「失われた記憶」と続くと、「覚えてないことで殺人犯にされちゃってかわいそー」程度の話に見えてしまいます。
「ザ・ナイト・オブ」という世紀の名タイトルをなぜ台無しに…
これ、邦題つける人も困った末のことだったんだろうなー。上から言われて仕方なく的な。
視聴者は、この面妖な原題に込められたニュアンスをちゃんと分かりますので、どうぞもうちょっとユーザーを信用してくださいませ。
Amazonプライムでは「ザ・ナイト・オブ」と原題のままでよかったです。
逮捕後のナズの変化
もしかすると物語の終わった後に真犯人が逮捕され、周囲の人のナズへの疑いは消えるのかもしれません。
でも、もうナズ自身が変わってしまっています。
評決の日を迎えるときには逮捕時とは別人でした。
証言台でワイス検事に「なぜ救急車を呼ばなかったのだ」と問い詰められ、続けて「あなたはアンドレアを殺しましたか?」と問われて「分からない」と答えたナズには、まだ優しい青年らしさが残っています。
アンドレアの生死を確かめもせず、最善を尽くさなかった自分を許せない気持ちが「殺したかどうか分からない」という致命的な返答をさせたのでしょう。
証言台のナズは、あの出会いが恋の始まりになることを望んでいた純朴な青年に戻っていました。
でもこの時ナズは、チャンドラの好意を利用して薬を運び込ませてもいるのです。
処方薬を友達に売って1,000円程度の小遣い稼ぎをしていた頃とはまったく違います。
その後、チャンドラの弁護士生命が終わるのを承知でふたりの関係を告発することを了承したナズは、チャンドラが黙って法廷を立ち去るのを見ても顔色一つ変えません。
何も感じていなかったはずがなく、内心では後悔して謝りたかったことと思います。
でも、それこそ意味のないことです。
今さら何を言っても、変わってしまったチャンドラの人生は元に戻せず、ナズが自分の利益のためにチャンドラを犠牲にした事実は消せません。
この「結果を分かっていながら人の一生を変えることをした」という十字架(他意はない)はとても重く、事件の前のナズに戻ることはもうありません。
指に彫られた「SIN(罪)」の入れ墨が、とても意味深です。
皮肉なことにストーンと同じように「真実はどうでもいい」と言い、「司法取引しろ」と言っていたフレディは、ナズの無実を信じていました。
ナズがそれを知るのは、釈放の直前です。
フレディは、ナズの罰が軽くなるよう手を尽くしてもいて、ナズに本当の友情を持っていたように見えます。
もっと早く、ナズは無実と思っていることを伝えていたら、あるいはナズはライカーズに染まらないまま、フレディとの信頼関係を築けたかもしれません。
フレディがナズに渡した本「野性の呼び声」とは
別れを言わせず見送りにも来なかったフレディがナズに渡したペーパーバック「野性の呼び声」は、1903年に発表されたジャック・ロンドンの小説です。
「荒野の呼び声」というタイトルに訳されていることもあります。
読んだことのない本だったので、今回読んでみました。
評判通りの傑作です。
刑務所での処世術を学ぶための本だったはずの「野性の呼び声」。
フレディはなぜ出所するナズに渡したのでしょう。
外の世界の人間たちもまた野性を内に秘めた存在であり、文明社会に浸かった人間の野性は自然界とは違った形で現れる。
敵はどこにでも潜んでいて、ひとたび倒されれば周囲で傍観していた有象無象が一斉に襲い掛かり、とどめを刺そうとする。
油断して隙を見せるな。野性の掟を忘れるな。
別れの言葉の代わりにナズにそう言いたかったのかなと思います。
私はなぜかフレディに好感を感じていましたが、本を読んでその理由が分かった気がしました。
「野性の呼び声」は2007年に新訳版が発行されています。
2020年にはハリソン・フォード主演で映画にもなりましたが、この映画はあまりおすすめしません。原作読んでください。